2015-04-12から1日間の記事一覧

四国八十八ヶ所、71番弥谷寺

本尊は千手観世音菩薩です。寺は山の中腹にあり、昔から、死霊の行く山と言われます。寺へのだらだらと続く坂道を登ってゆくと、仁王門の出前に名物とトコロテンを売る俳句茶屋がある。これから急な段を登るお遍路さんには、格好の休憩所です。実は体調が悪…

四国75番、善通寺

本尊は薬師如来です。東に赤門、西に中門、南に大門がありそれぞれの門から入れます。参道には多くの参拝客もいて、お遍路さんは戸惑うそうです。堂塔は唐の青龍寺に模してつくられ、寺名は父の名をとって善通寺と名づけられた。御影堂の下には、戒壇めぐり…

四国八十八ヶ所74番甲山寺

弘法大師は幼い頃、この辺りで、遊ばれた。土の、仏像や草木の小堂を作られたりされた。大師が満濃池の築造の別当に任ぜられ京都から当地に赴任し薬師如来を刻んで工事の成功を祈願された。携帯の電池が無くなり車で充電しながら、パチリです。撮るのに精一…

四国八十八ヶ所73番出釈迦寺

本尊は釈迦如来です。伝説によれば前方の我拝師山に弘法大師が七歳のとき登り(仏門に入って多くの人々を救いたい。この願いがかなうなら釈迦如来現れたまえ、かなわぬなら、一命をすててこの身を諸仏に供養する)といって断崖絶壁から谷底に身を投げた。この…

四国八十八ヶ所72番曼荼羅寺

寺は弘法大師の先祖である佐伯家の氏寺として創建され世坂寺と称していたが弘法大師が留学後、本尊の大日如来を勧請し、大同二年金胎曼荼羅を安直し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。境内には西行法師の(笠掛桜)と(昼寝石)がある

四国八十八ヶ所70番本山寺

本尊は馬頭観世音、脇士は阿弥陀師如来です。天正の頃長曽我部元親は、寺へ進駐しようとしたが、住職が拒んだため切り殺してしまう。やがて内陣逗子が開きご本尊の手から血が出ており、驚いた武士は境内から退き寺は戦禍から免れと言われる。仁王門と本堂は…

四国八十八ヶ所、69番観音寺

68番と69番観音寺は同じ境内にあります。観音寺は八幡宮の別当寺として大師が69番の霊場に定めた。昭和34年にも解体修理して、重要文化財に指定されている。本尊厨子の裏板には、貞和三年下妻の僧の落書きがあり、このころ茨城から四国遍路に訪れていること…

68番神恵院

神恵院と次の69番観音寺は同一境内にあります。文武天皇の頃法相宗の日証上人が修行していた時、海のかなたに神船が浮かんで琴の音が聞こえ宇佐八幡のお告げがあり、その神船と琴を引き上げて山頂に祀った。後に弘法大師が阿弥陀如来の尊像を描いて本尊とし6…

67番、大興寺

本尊は薬師如来です。仁王門は八百屋お七の父か、恋人の吉三のいずれかがお七の菩提を弔うために遍路となり、その途中に寄進したと伝えられる。地元の人や遍路は山号にちなんで小松尾寺と、呼んでいる。今回から、大師堂で般若心経を唱える様になりました。…

66番、雲辺寺

雲辺寺口から、寺への5,5キロの登りは(へんろころがし)といわれる急勾配の坂道は登りに2時間はかかっていたが、自動車道やロープウェイの開通で、歩かずしてゆける。本尊は先手観世音菩薩、四国の高野といわれ、学問道場として盛んであった。約一ヶ月ぶりの…