今日を生き抜く知恵・お盆編

お盆とは自分に目覚める日・・・・松原泰道
 
照りつづく盂蘭盆の日のゆうべなり涼しかれとて墓に水うつ・・・
(暑いお盆の日がつづきます、あなたもどのようにかお暑い事でしょう。せめてこの夕なりともすずしいように”と冷たい水をそそいで墓前にぬかずく遺族の姿が目に浮かびます)
 
亡きお方もお喜びでしょう・・・・・
 
一休禅師がさとされて「今死んだ、どこにもゆかぬ、ここにおる!たづねはするなよものはいはぬぞ」
 
「どこにもゆかぬここにおる」・・・・・・さあ、こことはどこでしょうか?
 
「たづねはするなよ、ものはいはぬぞ」声なきものの声を聞け!・・・・・・でしょう
 
亡き人は生きてある者の幸いを念じ、生きてある人も亡き者の幸せを念じてゆく心の交流が
 
生活を豊かに深めます。
 
経典には”命ある者は福楽(さいわい)にして命永かれ、亡き人は苦を離れて安らかなれ”・・と説いています。
 
亡き人の願いによって生かされてあるこの事実、そして亡き人を念ずる思いによって生が充実されている
 
この事実に、えりを正す必要を感じます。
 
よく[死者のたたり」とと言われますが少なくとも親子・夫婦などの肉親のたたりがありうるのでしょうか。
 
自分を省みず、我が不幸や逆境の原因のすべてを故人に負わす、生者のわがままこそ責められる
 
べきでしょう
 
死んだ人が迷っているのではない、生きている者が誤った心を持ち、行いをしているのです。
 
・・・・ここからは私の一人事です・・・・
秋葉原殺傷事件の公判がありましたね、被告の人自分の考えに問題があるといいました。
 
又幼いころ母親に2階からおとされそうになり、トラウマがあったと、そんな事人を殺める理由になるでしょうか
 
すべて自分が悪いとは言えないですかね・・・・
 
母親としては私の育て方が悪かったのです、と私も言いますよ!だけど息子におかんが悪いからと
 
言われたら、世の母親はうかうかお昼寝も出来ません。
 
私反省している事があります、前にお店で(古着や)で知的障害者の女の子に来てもらった事あるのです。
 
時給も皆と同じくらいです、面接の時その方のお兄さんの協力もありグットでした。
 
いざ働いてもらって3日目くらいに、あまり店番の服装に相応しくなくてその子の母親に、服装のクレームを
 
言いましたら、お店に来て下さいました。そのお母さん体調が悪くそれでも私が至らないと謝ってくださったので
 
すが、その後女の子止めてもらったのです。
 
いえ、服装ではないのです。その子の父親がボランテイァでお掃除の仕事をしていて、その子も誘われたと。
 
お店にお父さんとお友達も来て下さいましたが帰られた後、その女の子が言ったのです。
 
「ただでなんて働けないと、掃除なんか時給900円貰わんとやってられない」と、ほんとびっくりです。
 
お父さんの努力はその子に伝わっていないのです。
 
縫物を覚えて頂こうと思っていましたが、人に教えるという難しさに悩み、又お母さんの朝起き上る事も
 
出来ないという悲しさに、是非お家のお手伝いされるのが一番いいと思いました。
 
確かにそんな方々が、自立出来るととても良いのですが、お家の方と仲良くが一番ですよね
 
ささえてくれた家の方々の無事が一番ですよ、いつも親は世間から無事帰ってくるか子供の無事を願ってます。
 
親が悪い、世間が悪いと人様をナイフで刺したり、あんなに可愛い子供を衰弱死させたりって
 
何かの間違いですって、本当に何かの間違いですよね
 
・・・・・・・次回から般若心経のなぜ人は死ぬのか?なぜ人は生まれてきたのか?を書きます。
・・・・・・・訳・著者は新井満さんです。色即是空は皆知っていますが、私はぎゃあてい、ぎゃあてい
・・・・・・・はらぎゃあていが好きですよ