喜捨と断捨離

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随分前ですけど、あるお寺に子供さんにぜひあげて欲しいとお菓子をお供えしました。子供さんに届いたか、気になって困ったんです。暫くしてある本で、喜捨と言う言葉があると教えてもらいました。その作者がインドに旅行した時、バスに孤児が何かくれと群がる又孤児にあげる用にバナナを売っている、大きめのボスの孤児にあげないで、小さい子供にあげたら同行者に言われた、小さい子どもに上げるのは間違いだと、大きい子どもに渡しとけば、皆に平等に分けて上手くしてくれると、そして喜捨と言う言葉を教えてもらった。喜んで捨てさせて貰うとは、すべてお任せする?誰に?神様や仏さまに、そう考えると自分が恥ずかしくなりました。それから時々喜捨を思い出してます。余談ですが、先日40年ぶりに北海道の友と、15年ぶりに赤穂の友と共に有馬温泉にミニ同窓会しましたら、なんと赤穂の友が断捨離と言う言葉を仕入れて来ました。無駄を無くすとか、人付き合いも、もちろん物も、彼女の勢いですと、いつか私達
も断捨離されるかもと残り二人は、心配したのです。断捨離とは、色んな縁も自分の判断で切ってしまう。だと喜捨と断捨離は似て非なるもの?お任せするかしないかで、違ってる気がしませんか?