白い彼岸花


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この前の日曜日、お墓参りに行きました。谷上です。白い彼岸花を見つけました。儚げで、綺麗でした。谷上は、舅さんの里で、ずいぶん前に舅さんの実家の後が、倉庫になってて、柿の木があって子供達と、柿の実を取りに何度か行きました。今うちの裏には柿の木があります。実はちょっとしかなってなく、お隣さんの柿の方が、たわわに実ってます。枝がうちの方へ寄ってて、思わずうふ!ってなります。決して欲しいわけではありませんが、大きな柿!やっぱりうふ!です。

乾燥野菜です

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もうすぐ、食糧危機が来る、日本沈没があると私が言うので、家族に笑われています。私がいなくなった後に使って貰ってもいいやと、乾燥野菜を今作ってます。梅干しを干すために、このざるが元々あったのを、椎茸、しめじ、南瓜、サツマイモ、実は牛肉まで、干して。孫に何か臭いでとか言われながら、負けずに毎日干してます。干すたびに、お日さまに感謝です。お米も、吉川町の方が毎月分けてくださり、最近では、丹波篠山の方が新米を分けて下さいます。有り難いです。実は色々災害に備えようと、思ったのは、あの阪神淡路大震災の時、私達の家は、14階の建物でしたが、11階に住んだ私達は、両親の家まで歩いて、皆無事でした。両親の家では、電気が通っていて、水も近くに水道局があって、汲みに行けば手に入れることが、出来ました。ご飯も炊けて何とか、おかずも作れて、寝るのは車で、大変でしたが、生きることが、出来ました。でも今でも、後悔する事があります。両親の家の前が公民館でしたが、小さな子供さんが、何も食べていませんでした。ご飯を炊いておにぎりを持って行こうとしたら、連れ合いに皆にあげれないなら、やめときと言われたんです。そうなんです。あの人にあげて、この人にないなんてね。諦めました。涙がでました。それで今度何かあったら皆にあげれる母さんでいたいなと、思ったわけです。贅沢しなかったら、食糧を貯めれるかとか、何が、干して保存出来るかとか、毎日考えています。勿論、お日さまや仏さまに相談しながらですが

九月です


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なんとなく、空が高くなってない(・_・?)

まだまだ日中は暑いけど、朝夕は少し涼しくて、ほっとしてます。

八月は、お盆だったり、お墓参りだったり、コロナにかかったり(本当にしんどかったよ)大変な夏でした。今日も気温は、30度ごえ。お彼岸くらいは、涼しくなるかなと、連れ合いが言います。が、日本はもう春や秋がないかも、と私が言い、日本は半分くらい沈没するらしいと、又私が言うと、そんな訳ないやろと、連れ合いが笑います。でも、淡路阪神に大地震来たやんか?忘れた?実は最近私は、頭の中で、又地震が来たら、どこに逃げるかとか、色々想像してます。食品も、お水も、貯めて来てます。あんた愛はあるんか?とは、言いませんが、あんたあの時を忘れたんか?と言っています。冗談みたいですが、、、

思い出すことが、

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今、まさに神戸に台風が、来ようとしています。家の裏のゴルフ場の林の竹や、木は大変な事になってます。私達は穏やかにテレビの台風情報を見る事が出来ましたが。なぜか、前からここら辺は台風など、直撃しなくて、住みやすい。六甲山のお陰だとか言う人もあります。先日ハワイで山火事があって、住宅が燃えた後が、戦争の焼け跡と同じだなって思ってたところ、今日は、終戦記念日で、台風情報と、戦争の焼け跡の画像が、代わるがわる出て来ます。家では、母方の叔父が若くて、海軍の船に乗って亡くなっています。白いセーラー服のイケメンの写真が、仏壇に飾ってましたね。昔は五男だったら戦争に行く人多かった?父方の祖父や祖母は満州開拓団で、終戦の後、引き上げ途中で、亡くなってる。これ余談ですが、子供の頃祖父と祖母の遺影が、しゃべってて、私は、怖くてびっくりした事があります。大きくなって、何度遺影を見ても、しゃべらなかった祖父と祖母ですが、姉も遺影に叱られたと言ってたので、ちょっと怖いけど、本当の話しです。とても、日本に帰りたかったでしょうね。今だったら手を合わせて、冥福を祈るのに、、、もう一つ余談ですが、里の跡継ぎの弟が、遺影を整理したいと、私に持って帰ってくれる?と言ったのに、私は思わず、心の中で、コラ❗と叫びました。沢山の遺影をコンパクトにして、粗末にならない様に飾れるかなと、思ってたら、なんと弟が暫く家におって貰うと、言いました。良かったです。父は満州で召集され、終戦後日本に帰ってきたら、家も焼けてて、大変だったみたいです。父の口癖は、たとえ寝付いてても、親に生きてて欲しかった。相談したい事が沢山あったと、、、、私は、もっと昔の話聞いとけば良かったなと、今も思っています。13日子供や孫達が集まってバーベキューでした。大人は8人、子供6人、孫もはしゃいで、息子も酔っ払って、ばぁばはあんたたちうるさいよ❗と、つい叫んでしまって、自分が一番うるさかったと、反省ですよ。近所迷惑だと言う私に、これだから昭和は、と言う息子に負けずに、しっ~しっ~といい続けた1日でした。疲れました。

初盆でした。


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6日、谷上のお寺で、義母の初盆の法要でした。昔の事言うと、又やと言われそうですが、昔は、🏮ちょうちんも、置くタイプのも、飾りお供え物も、いっぱい飾ってましたね。子供心に、ご先祖さまが帰って来ると、何だか神妙にしてましたよね。盆踊りも、楽しみの一つでしたね。世の中は変わって、ご先祖さまは、何だか遠くになってしまいました。先日お友達の仏壇やさんで、ちょうちんを頂いて、飾ったら素敵です。なんとろうそくは電池で、ひねると灯ります。ぜひ、何とか飾りたい方は、お店で相談すると、今風のおしゃれな、仏具に会えるかもですよ

ある不思議な事


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大分昔の事なんですね。

私の母は、私が高校生の時亡くなったんです。

私は勉強より、家事に忙しい高校生でした。それからは、母が早く亡くなってしまったよと、不足に思ってました。もう20歳越えた時、お友達がご先祖さんの事や、亡くなった方の事が良くわかる、おばさんを紹介してくれたんです。その方が、私には、浮かばれてないご先祖さんがいると、沢山拝みなさいと言ってくれました。そのおばさんは、法華経の方で、南無妙法蓮華経と沢山亡くなった方を拝みなさいと、、、私は、まだ素直でしたから、朝夕にお昼も時間のゆるす限り、母の名前を呼びながら、唱えましたよ。一週間ぐらいして、夢を見ました。私が母の棺を川に入って引っ張りながら、渡っていました。そうです、母は子供達が心配で、まだ三途の川を渡ってなかったのです。草葉の陰から心配ばかりしてたようです。私の実家は南無阿弥陀仏ですから、その時に、南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も一緒なんやと、思えて来ました。その後そのおばさんと友達が、疎遠になり、あるお話をして下さる南無阿弥陀仏の方へ今は、行ってます。あるお話から私たちは、自分の行いしだいで、死んだら地獄に行くかもですが、なんとご先祖さまに手を合わせ、少しでも人のために良いことしたら、ご先祖さまを助ける事が出来ると、思いました。思えて来たのも、最近ですが。南無阿弥陀仏でも、南無妙法蓮華経でも、南無大師遍照も皆同じですね。最初は唱えるとこからかな?だって私は、母に会えましたから