震災に思う事

私達神戸で被災した者たちは、沢山の思い出がありますよね
 
避難所に行けず、車で寝ていました。ガソリンは並んで入れて・・・
 
高層の住宅11Fに住んでいた私達、幸い両親の自宅は電気がついていたので
 
暖かいご飯はたべれました。北区のスーパに買い出しに行きコケながらカップのラーメンを買い
 
とても慌ててる自分が恥ずかしかったです。
 
お風呂は明石の弟宅に渋滞の国道を抜けていきました。
 
とても、悲しかった事、忘れ物を取りに自宅へ帰ってグシャグシャの部屋の窓から
 
兵庫区の家々が新開地の方から火の手があがり、山の方へ燃え広がっていきました。
 
なすすべもなく、ただ泣いていました。
 
当時、毎日救急車と消防車の音が鳴り響いてました。
 
両親の自宅の前の公民館に避難してるあふれそうな人達は2日ほど食べていなくて
 
せめて、子供におにぎりをと作ってもって行きかけて、家の者に皆に上げられないなら止めろと
 
止められられました。あの日の雨はとても恨めしかったです。
 
それからすぐに、お弁当や炊き出しもあり、皆さんの援助で随分助けて頂けました。
 
水を汲むのが大変でしたが、自衛隊の暗くて温泉のようなお風呂は有難かったですよ!
 
皆で助け合う事も学習しました。
 
悲しくて泣いて、嬉しくて泣いて、あれほどと言うほど私達は日本全国から、世界中から恩という心を
 
頂いたのですね。
 
あれから、沢山のビルや住宅も建ち、私達もよく頑張ってきたなと思います。
 
大震災は被災した人もしてない人も、あらゆる人達に神様や仏様からのメッセージだったと思います。
 
私もあれが思い出にならない様に何か恩返しができないかと思っています。