四国76番金倉寺

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四国で昔から文化の程度が高かったのは讃岐の那珂郡と多度郡で、この地からはすぐれた人物を生み出しているそうです、多度郡弘田郷の豪族佐伯一門からは、弘法大師知泉円珍、などの高僧がでています。明治31年から四年間、乃木将軍が寺の客殿に住み善通寺の師団本部へ馬で通われた。東京から夫人が、面会に来ても会わず、夫人は松の下でたたずんでいた。今その松を(乃木将軍妻返し松)とよんでいるとか。話は飛びます。時間が立つと画像が判らなくなり、いつも御参りの途中にメールでブログ投稿します。お四国さんに行く前に、お寺の名前やお大師様との曰くなど、下書きして保存して置きます。撮影したらどんなお寺か覚えている間に投稿しないと、画像も判らなくなり大変になります。昨日はとても回りやすく、この金倉寺あたりで、下書きはなくなり、携帯の電池もなくなり、今日今頃メール投稿している次第です。何を長々言っているかと言うと、画像が少し怪しいかもです。間違ってたら、お許しを